こどもの園はどんなとこ? – 自分らしく育つ園|葛飾こどもの園幼稚園(東京都葛飾区)

1.葛飾こどもの園幼稚園の始まりと歴史― 長い年月をかけて積み上げられてきたもの ―

創立時に大切にしていた思い

昭和28年、田んぼが広がり水戸街道に砂利が敷き詰められていたころ、初代園長の父親が弟である牧師と祈り教会を建て、そこに集まる子どもたちと共に礼拝堂のなかで保育が始まりました。

子どもたちと共に祈り賛美する生活を大切に始められた当園は、フレーベルの理想とした幼稚園を目指して園名を“こどもの園”とし、自然の中にでていき、動物を飼い、様々な子どもたちとの保育を大切にして歩み始めました。

現在の保育につながる体験活動

創立当初から“自由保育”をうたい、5年後には葉山海岸への“お泊り保育”、運動会での“仮装行列”、“こどものとも”との絵本研究、“動物の飼育”など、現在にまでつながる活動が始まっていました。10年後には障がい児の受け入れを始め、現在のインクルーシブな保育へと受け継がれています。
また、30数後には卒園した大学生が集まり「障がいのある子どもたちとのキャンプやハイキングを」と、尾瀬のハイキング、福島でのキャンプ、スキーキャンプ、春秋のハイキングが始まり、コロナ騒動前まで38年間スキーキャンプ、尾瀬ハイキングが続けられ、現在では卒園児と共に行われる春と秋のハイキングや新潟県でのお泊り保育が続けられています。

令和6年度に創立70周年を迎えた現在、自由主義保育や自然のなかでの体験活動、保護者との園活動、絵本活動、動物との共存、インクルーシブ保育など、キリスト教保育を柱としたこれらの長年積み上げてきた保育により、現在のこどもの園が作られています。

2.キリスト教保育について― 今、生かされていることを感謝できる生活 ―

愛され必要とされること

私たち人間は、周りの人から愛され必要とされていると感じることで、安心し様々なことに喜びを持って生活することができます。そうでなければ自分に自信が持てず不安定な生活となり、物事に集中したり、我慢したり、相手の状態を察して思いやることなど到底できませんし、生活していくことさえ苦しくなっていきます。

神様が一人ひとりを大切につくられ必要として下さること、そして、どんな“自分”でも愛してくださることを知り、家族や仲間にありのままの姿を受け入れてもらえることで“自分”というものを大切に思い“自分らしく表現すること”を肯定できるのです。この“自分らしく表現すること”のためには、単に十分に遊ばせているとか、たくさんの経験をしているということではなく、一人ひとりの違いを知り、その様々に違う個性や表現の仕方が生活の中で受け止められ、必要とされていくということです。

神様に感謝できる生活

神様によって個性豊かにつくられ無条件に愛されているからこそ私たちは、一人ひとりの違いを尊重でき、違うからこそ豊かな生活が作られていくことを実感できるのです。このような仲間との生活や動植物との命を感じることのできる生活をとおして私たちは、考えさせられ、悩み、賛美し、祈り感謝する機会が与えられています。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなときにも感謝しなさい。」テサロニケⅠ 5:16

3.保育の質を問う― 子どもと保育者の主体的な生活のために ―

保育界の現状について

日本では現在に至っても、クラスという集団に対して教師が“教え導く”という小学校的な考え方が一般的な保育として行われているのが現状です。教師が教える存在で子どもは学ぶ存在である、ということに対して疑問を持つことなく当たり前のごとく教育、保育が行われています。多くの園が開園した当時(60数年前)は、保育に対して手探り状態で小学校をモデルとするしかなかったのですが、現在に至っても形や内容は変えてきましたが、本質的に保育の質を深め掘り下げていくことが難しく、その原因として社会背景が大きな要因であると感じています。

現在、どこの乳幼児保育施設でも“泥遊びをしています”、“お料理をしています”、“お泊り保育をしています”、“自然活動が必要です”、“動物を飼育しています”、“食育を大切にしています”など・・・と説明がなされるのですが、当園も含めて現状は、子どもたちを管理すること、怪我をさせないこと、忙しさの中で効率よく行うこと、大人の都合に合わせた“よい子”にすること、大人の価値観に当てはめようとすることなどにより、大切にすべき本質的な内容が抜け落ち形だけ整えられていることが、まだ多くあるのです。

保育の質を高めていくとは

“質”を求めた保育とは、どのような保育なのでしょうか?それは、身体全身(五感)を十分に使った実体験による活動をとおして一人ひとりの子どもと心動かし共感すること、そして、必要に応じてそれぞれに向き合うことができる保育です。そのためには、その計画段階から子どもたちと話し合うこと、子どもたちと考えること、子どもたちと決めること、子どもたちの思いや意見を受け止め任せること、その結果について共に責任を持つことです。この、時間をかけ共に考え悩み試行錯誤する保育をとおして、子どもも保護者も保育者も心動かされ“つながり”が作られていきます。この保育は、一斉保育的に“皆が同じ経験をすること”を求めたり、大人の都合に合わせた“見栄えがよく整えられた保育”とすることではありません。

子どもと保育者が主体的に園生活を作り出し、質を追求していく保育は、長い年月をかけ志を持って日常を積み上げていく保育でもあるのです。

4.インクルーシブな保育、生活とは?― 社会の変化を必要とする保育 ―

この保育の土台となる考え方

だれもが “必要とされ愛されていること”また“保育の質を高める”ということは、インクルーシブな保育を目指していく園として欠かすことができません。ここが土台となり何十年もかけて大学機関の何人もの教員と共に保育の試行錯誤が行われてきましたが、大切なのは“障がいのある子どもに特化した保育ではない”ということです。障がいがあるから支えるのではなく、今、苦しみ困っている状況、状態の子どもや大人がいるならば包み込むように手を差し伸べる、という考え方です。障がいがあったとしても、今、健康的に仲間と生活しているならば支えは必要ありませんし、障がいが無くても生活や仲間関係において苦しさを感じて支援を必要としているならば支えるということです。

そして、この支えは、皆と同じことができる生活を目指したり、活動に参加させることが目的ではありません。何かに苦しんでいる一人の人を取り巻く周りの仲間や人々の理解や変化、成長による共生社会を目指すことが目的となります。周りの仲間がさまざまに個性豊かな表現をする友達を自然と受け入れていくような日常が大切であり、そのような生活をとおして考え話し合う機会が作られていく保育となります。明確な答えがある訳ではなく、子どもたちと常に考え試行錯誤しています。

保護者のつながりと支え合い

もう一つ当園では、保護者同士のつながりのある支え合いが柱となっています。
当園は、異年齢クラスの幼稚園なので保護者も学年が違い園生活の経験も違います。初めて参加する保護者はこれから始まる園生活や子育ての不安を先輩お母さんに声をかけられ、園外での活動でも助けられる経験をします。また、サークル活動や保育ボランティア、おやじの会イベントなどをとおしてつながりが作られます。
この、つながりが生かされ本当に困ったときに支えられた経験は、数年後に、自身が次に入園してくる保護者を支える立場へと変化させるのです。
この、どこにでもあるような支え合いが繰り返されてきたことと同じように“言葉が理解できずに困っている人”がいたならば、さりげなく留学経験のある保護者を紹介して人と人をつなげる役回りに動いたりしています。

これから先、小さな幼稚園という村全体に広がるインクルーシブな感覚が地域に浸透し、卒園した保護者や子どもたちが、その地域を作りだしていく人となっていくことを期待しています。