ウーパールーパーのさくらちゃん、天国でも元気でね
■変わり果てた姿を前に戸惑う私
12月のある朝、年長児2人がいつものように「ごはんをあげよう」と水槽を覗くと、白くなり隅っこで動かない“さくらちゃん”の姿を見つけました。保育者は、死んでしまった姿を子どもに見せて良いのか、どう伝えたら良いのかと頭をよぎりました。一緒に見ていたRちゃんが「いつも動いていないけど、なんか違う?」「お腹すいて動けないの?」と心配そうに声をかけながら、網ですくい上げてみますがやっぱり動きません。Rちゃんは「死んだ!死んだ!」と興奮しながら、登園してくる子を捕まえては報告をします。テラスでしばらく覗きこむ子どもたちは「なんだか白くなってる」と、いつもと違う姿を感じながらも、年少児のHちゃんは「また買ってくれば大丈夫だよ」とあっけらかんとしています。保育者は、もう命がない姿を目の当たりにしても、子どもたちが実感することは難しいのだなと痛感しました。「“さくらちゃん”は“さくらちゃん”しかいないんだよ」と伝えますが、どう話したら命の尊さが伝わるものか、答えは分かりませんでした。
■なぜ? いつもの絵本なのに・・・
その日の礼拝で「ぼくのおいのり」の絵本を読みました。「しんでしまってもかみさまはまもってくださるの」「いきているときもしんでもかみさまはまもってくださるの」と読んでいると、死んでしまった“さくらちゃん”を前に、思わず涙が溢れてきました。「え?なんで泣いてるの?」「なんかあったの?」と不思議そうに自分の泣いている姿を覗き込む子どもの視線を感じながらも、毎日子どもたちとごはんをあげて可愛がっていた思い出や、絵本の言葉が胸に刺さり、涙が止まりませんでした。
最後に子どもたちと一緒に「神様、天国に行った“さくらちゃん”のことをどうぞお守りください」とお祈りしました。
■子ども目線の言葉が聞こえてきた
礼拝後子どもたちと“さくらちゃん”を園庭のお墓に埋めるために子どもと穴を掘っていると、年中児のC子ちゃんが「冷たそうだね」と何人かで黄色いいちょうの葉っぱを集めてそこに敷き詰め、暖かそうなベッドを作ってくれました。「お花もあったらよかったね」と呟いた保育者の言葉でひらめいたように、またいちょうの葉を集め、輪ゴムで止めて、黄色の花束を手向けてくれました。「私のおうちにも来てほしかった」(毎週末各家庭に連れ帰っていた)、「ほし組に来てくれてありがとう」と子どもの声もポツポツ聞こえました。保育者も子どもと共に、小さな命を実感できた出来事となりました。温かないちょうの葉に囲まれて旅立ったウーパールーパーの“さくらちゃん”。神様に守られて、天国でも幸せに過ごしてね。