春のハイキング   
神奈川県三浦富士 イチゴ狩り

戦いを越えたからこその親子の“結びつき”

■バス降りてすぐに泣き出す
この春のハイキングでは、新入園児の子ども達とお母さん、またはお父さん達との間で、さまざまなドラマが見られ繋がりを深めていったように感じました。
ある3歳の女の子は、バスを降りたころからぐずり出し「抱っこして」とお母さんの歩く道をふさぐかのように両手を上げて両足でバタバタと激しくし足踏みを始めます。あまりにも激しく泣き叫ぶため、お母さんも団体での動きに合わせようと抱き上げました。そこで「お母さん、ここから抱いたら10キロの距離を歩けるかな、抱っこせずにゆっくり歩いてみましょうか」と声をかけ、わめきたてるように泣く子どもの手をお母さんに引いてもらうようにして歩き始めました。

■泣き出す理由を考える
このようにお母さんに訴えるように激しく泣く場合には“お母さんに戦ってほしい”と思うのですが、子どもにも泣く理由がいくつか考えられます。団体行動で引っ張り回され説明もなく(小さな子ども用の)突然歩かされること、そして、ハイキングのような歩く経験が少ないと、どこに行き何をして楽しみ、いつまで歩かされるのかなどの見通しが建てられない状態であること、まだ親子で楽しみがんばった経験がないこと、などが考えられます。そこで、お母さんが子どもが泣いていることを恐れずに大きく構えることができること、そして、お母さんとの関係性の問題で子どもが力関係を量るかのように“いつものように抱っこして”と騒いでいることが推測できたため“歩かせてみよう”と提案しました。

■激しい子どもの抵抗が消えていく
しかしながら、女の子は一層激しく泣き続け、お母さんの手を振りほどき座り込みます。そこで、振り返ることなく静かに歩き続けてもらうと泣きながら追いかけてきてまた座り込むのです。何度か続け、お母さんは淡々と歩き続けているうちに泣きながらも手を繋ぎ歩くようになり、周りのお姉ちゃんたちが楽しんで歩いていると雰囲気を感じるように歩き続け、泣くことを忘れたかのように黙々と足を進めるのです。ここまでに30分は優に越えていた出来事で、お母さん自身も疲れ何とも言えない“皆さんに迷惑をかけている”と言う感じでもありました。

■子どもの変わりようが何ともかわいらしいのです
苦しい状態を淡々とやり過ごすかのように演じていたお母さんも、子どもの変化に驚きを隠せず、また、お母さんとの関係が崩れるのではなく“結ばれていく”状態が進行していることを感じることができるような状況となりました。それは、あの大騒ぎしていた子どもがお母さんと手を繋ぎ、素直に話を始め、歌をうたいだし、周りの友達やおねえちゃんたちと笑い合えるような楽しい空気をつくりだしていたのです。お母さんは「なんだか朝のことを思うと嘘みたいです。山歩きがとっても楽しいです」とにこやかに楽しみ、お弁当を食べ最後まで歩き、イチゴ狩りを楽しんでいました。帰りのバスの中ではお母さんの膝の上でずっと寝ていました。

■あちらこちらで“戦わなければならない戦い”が・・・
この4月のハイキングは、親子にとって初めての経験ですから、いろいろな形で“戦うこと”が必要となるようです。「ほんとに感動しました。泣いて歩くことは無理だと思っていたこの子が、歩ききったんです」と若いお父さんや新入園児の方々も話してくれました。

“子どもを守る”“子どもの思いを尊重する”ということが叫ばれるこの時代(子どもを過保護に扱いすぎる幼稚園や親の問題か?)に、“子どもに振り回されることのない毅然とした親の姿”が必要ではないか。こんな関係を積み上げていくことにより、ほんとの意味で“子どもを守り、尊重する”ことのできる関係が作られていくのではないかと思うのですが、皆さんはどのように考えますか?


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